- “喜びの共有体験”が開く未来 -
帝京大学福岡医療技術学部看護学科 助教 糸永 喜代美
長年に渡り看護師として臨床現場での経験を持つ。2008年より、九州看護福祉大学大学院にて「イラショナル?ビリーフ」について研究し、2017年より同大学看護福祉学部非常勤実習助手となる。2021年より、帝京大学 福岡医療技術学部において教鞭を取る。現在、主に携わる研究はライフサイエンス全般であり、中でも高齢者看護や地域看護において集中的な研究に従事する。多くの専門職の連携を高めた、地域における看護のあり方について視野を広げている。
私はかつて勤務先の人事異動で医療福祉連携室で働いた経験があります。主な仕事は、病院内入院患者さんの入退院支援や病院と施設との調整など、連携をメインとした人事です。病院では医師や看護師、介護士といった専門職同士の連携が重要ですが、同時に課題でもあります。たとえば、入院患者さんに対して介護士がかかわるケースがあります。特に高齢の患者さんには、介護士が日常的に接することが多く、さまざまなことに気づきます。ガーゼ交換のタイミングや点滴の状態などは代表的な例でしょう。しかし、看護師でなければ処置できないことが多いため適宜看護師を呼ぶことになります。一方の看護師は、別の業務に忙殺されているため、やりとりがどうしても後手になってしまうことがあります。看護師には”こちらの都合も考えて欲しい”といった意識が芽生えやすくなりますし、一方の介護士は”患者第一じゃないのか”という複雑な思いを抱えてしまうことがあります。結果的に、専門職同士でわだかまりが残り、なにより患者さんにとって良い結果になりません。解決すべき課題です。私たちもさまざまな解決策を調査しました。そこで出会ったのが「イラショナル?ビリーフ」の研究でした。
「ラショナル=rational」とは英語で”合理的”という意味があります。これが「イラショナル=irrational」となると”非合理的”という意味になります。「イラショナル?ビリーフ」とは、「非合理的な思い込み」と翻訳されることが多く、現在では医療のみならずさまざまな分野でも応用されるようになりました。たとえば、人はミスをする生き物ですが、”絶対にミスができない”と思い込みうまく行動できなくなるようなケースも該当するといえるでしょう。これは、精神的な健康を害する因子にもなり得ます。
現在では、特に「イラショナル?ビリーフ」が強くなる職種の一つが、看護職や教職であることが研究の結果わかってきています。たとえば、教師は公正かつ真面目であり、学生のために仕事をするべきだという職務的な責任があります。一方で、私生活における人格はより多様性に富んでいるはずです。しかし、社会通念として教師は私生活も品行方正であるという感覚に陥りやすく、日常的に精神的ストレスが高まる傾向にあります。
これは看護師も同様です。私生活においても看護師としての意識を持ち、立ち振る舞わねばならないという思考に陥りがちなため、ストレスを解放しにくいと考える傾向があるのです。しかし精神的な健全性を保たなければ、学生や患者さんの本当のニーズに気づけなくなりますし、同僚を支えたりする余裕がなくなります。「イラショナル?ビリーフ」という言葉は、私が向き合ってきた病院内連携の難しさを、極めて本質的に言い当てていたのです。私がこの研究を知った時は社会的認知が低く、日本でも研究者は多くはいませんでした。そんな時、ヘルスケアやヘルスプロモーションという広い視点で研究されていた先生と出会いました。患者さんの満足度を調べる調査や、病院内のニーズを把握するような研究をなさっていたので、私も強く興味を抱いたのです。
では、どのようにすれば「イラショナル?ビリーフ」による相互連携の不具合を改善させることができるのか。現在、世界中でさまざまな研究が行われています。はっきりしているのは「喜びの共有体験」が有効であることです。たとえば、一番身近なところでは”一緒に笑う”といったことです。職場でレクリエーションやスポーツを行ったりし、一緒に汗をかいて一緒に笑い合うということに高い効果があることがわかっています。みんなでラジオ体操をやったり、共通の趣味で楽しむサークル等で目標を作りそれを達成するという価値共有を実践したり、ポジティブな共有体験を通して、各々が持つ排他的になってしまうほどの強いこだわりが緩和されることで、相互連携の不具合の改善が期待されます。
前提としては、まず自分たちに「イラショナル?ビリーフ」があることを自覚する必要があります。近年において、自覚を促すことに成功しているケースにヤングケアラーが挙げられます。ヤングケアラーとは、本来であれば大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どものことを指し、少子高齢化が深刻な社会課題となっていることも背景にあります。この数年で一気に研究が進み、2020年度に厚生労働省が行った調査では、公立中学2年生の17人に1人、公立高校生の24人に1人が、家において世話をしている人間がいるという回答があったほどです。もちろんすべてがヤングケアラーではないにしても、予備軍を含めれば、その数字のインパクトは非常に大きなものです。重要なのは、ヤングケアラーは最近になって突然現れたのではないということです。昔からある話ですし、今後誰にでもありうる話です。ヤングケアラーには強い「イラショナル?ビリーフ」があります。たとえば、病気の親の世話をするために自分が学校に行きながら働かなければならない、共働きの親に代わって自分が幼いきょうだいの面倒をみなければならない、進路を諦めなければならない、といった未来に対する希望を、強い責任感による思い込みによって失われてしまうといったことです。当然、精神的に不安定となりストレスも拡大し健康を害することも多々見受けられます。しかし、ヤングケアラーという言葉が生まれ、社会的認知を得たことで、当事者たちが自身の状況を自覚しやすくなり、そうした境遇の人たちのコミュニティに相談したり、周りの人びとが支援に動くという状況が生まれるようになりました。ここに啓発活動の重要性が見て取れます。当人が「イラショナル?ビリーフ」を自覚することのみならず、周囲が理解できる状況を作り上げることで、地域や血縁関係の人間たちが一緒になって考えることができる。みんなでケアしていくという状況を作り、新しい喜びの共有体験へとつないでいくことで、ヤングケアラーの状況改善につながっていくと考えられるのです。
私たちの研究からすれば、SDGsは規模が大きすぎる話なのですが、本質的な課題は同じだと感じています。たとえば、SDGsという言葉を使う前から、課題は常にそこにあり解決するために努力してきている人たちがいます。業界単位でみれば、廃棄物の課題、エネルギーの課題に取り組み、一つひとつの課題解決に取り組む一方で、次々に生じるニーズに向き合ってきていることでしょう。しかし、一般社会はこうしたことに無関心でも困らなかった。一方、気候変動はどんどん進行し、眼に見える危機が増大し社会不安が高まっています。さまざまな人間社会における課題を、SDGsという言語化をして共通認識化することは、社会に共通の危機意識を芽生えさせ、自分たちの状況を把握するという極めて重要な意味をもたらしています。また、共通の目的でボランティアなどの活動を行うことで、問題に協働で取り組んでいくという意識を育むことができます。たとえば、食料問題を解決する時に、普段絡むことのない異業種同士が連携し一つの課題解決に貢献することは、分野の壁を取払い、新しい社会価値創出のために重要な価値を生む可能性があります。新しい喜びの共有体験創出につながっていくはずです。
私たちが向き合っている「イラショナル?ビリーフ」は、医療の現場における狭い範囲のものですが、だからこそ研究は着実に進んでいます。SDGs解決の雛形であると考えることも可能なのかもしれません。専門性のある人たちが多く関わる医療の現場だからこそ、研究が進むスピードが速いのも大きな魅力です。「イラショナル?ビリーフ」は、特定の人たちの話ではないのです。私たち人間が抱える、先入観や教育による縛りなど、無数の要因から生まれる思い込みです。しかし、この解決によって、社会はより自由に、生産性高く、新しい可能性を手にいれることができるはず。医療の現場で得られている知見をヒントに、少し世の中を捉え直してみるだけでも、SDGsへの理解がさらに深まるはずです。社会を改善する喜びの共有体験とは何か、社会にどのような価値が広がっていくのか、注視していきたいと考えています。