- SDGsに効く構造 -
帝京大学剣道部 監督 小澤 哲也
神奈川県出身。剣道六段。高校時代においては、県代表として国体優勝など戦歴多数。帝京大学時代は主将として活躍。その後、実業団剣道部(富士ゼロックス)を経て、本学剣道部コーチとして招聘される。現在本学職員。2013年より監督となる。
剣道に段位があることをご存知の方は多くても、どうしたら取得できるかをご存知の方は少ないのではないでしょうか。剣道の始まりは日本刀と同時期と考えられており、平安時代と言われています。その後数百年の間に幾多の戦乱を経る中で変遷し、江戸時代の平和な時代の中で活人剣として、生き方をはじめとする心法などを重視するようになっていきました。結果、剣道では”強さ”だけが評価されることはありません。優れた技量を有することは必須ですが、演武で型=成り立ちをマスターしていることも必要不可欠、さらに所作や礼法など細かな部分に至るまで心が通っているかどうかがより重要であり、それら一切の審査を得て、初めて段位を取得することができます。
昇段試験は1年に8回あり、五段までは地方審査で完了します。六段以上は全国審査会となり、指定された一カ所での実施です。毎年開催地も変更されます。私は6年前、名古屋で開催された審査会において六段を取得しました。すさまじいまでの緊張感。どこを見られているかわからないので一瞬でも気が抜けません。試技の最中も、その前後も、会場内での立ち振る舞いも審査対象です。剣道の昇段審査は、その段と同じ年数分精進しなければ参加資格を得ることができません。たとえば、二段を取得して2年が経過して初めて三段の昇段審査に臨む資格を得られます。私は六段でしたから五段取得後5年が経過した後でした。六段になる規定には「剣道の精義に錬達し、技量優秀なる者」とあります。精義、練達といった定性的な項目を満たすには、日常においても、礼儀作法、意識、勉強、身体訓練といったすべてに精力を注がねばなりません。次の七段に挑戦するには六段になってからの6年を精進し続けることが必要です。昇段ができなかった時には大きなショックを受け、歩んできた年数に関して自問自答を繰り返すことになると先輩方に言われてきましたが、今は身をもって理解できます。
剣道はコミュニティを形成する力に恵まれています。たとえば、剣道を始める理由の多くは、家族や友人など身近な人がきっかけで道場に行くようになったという人が多数を占めます。道場には、親の師匠もいれば、長く苦楽を共にした同志もいる。参加する子どもたちも大人に囲まれ、厳しくも温かい環境で育ちます。帝京大学剣道部では部としても地元の道場に貢献することを推奨しており、部員たちも夏季休暇で地元に帰る際には道場に顔を出します。慣れ親しんだ地元の道場で稽古をするということは剣道を嗜むものとしては自然な感覚です。道場において大学生は立派な大人の一員であり、子どもに指導をするようなこともあります。模範となるべく立ち振る舞うことが求められるのです。剣道家としての姿勢を見つめ直す機会にもなり、道場コミュニティを継承していくという意識も育まれます。
剣道に礼儀作法が重視されるのには、規律ある人間たちが扱う高度な技量という安心感を与えると同時に、コミュニティを安定的に環境構築するという意味もあるのです。筋力や肉体といった観点では若い人間の方が優位ですが、長きにわたってその道を深く追求し続け独自の境地に至るには時間が必要であり、年を経てなお追求し続けている人間にしか到達できない思考があります。実際、剣道の段位取得に必要な年数がそれを示しているとも言えます。段位が技術ではなく、作法によって評価されることには深い意味があると感じることができます。
現在、少子高齢化の流れもあり剣道人口は減少の一途にあります。私たちもこうした状況には危惧しており、連盟などでもたびたび議題にあがります。スポーツ化することで、競技人口そのものを増やすという案ももちろんあります。しかし、昇段審査に象徴されるような剣道の性格上、すぐにだれもが楽しめるスポーツになれるのかには疑問が残ります。スポーツはもともと”気晴らし”といったラテン語が語源であると聞きます。殺人剣からスタートした剣道が生まれた背景とは明らかに異なります。
とはいえ手をこまねいているわけにはいきません。私たち帝京大学剣道部ではいくつかの実験的な取り組みを行っています。まず取り掛かっているのが、新入部員として剣道歴の浅い経験者を受け入れています。大学の指定強化クラブである剣道部はプロアスリートに近いメンバーが集まる場であり、基本的には全国大会などで結果を残した選手たちで構成されています。しかしそれだけでは技量だけを重視し、強ければ良いのだという意識が突出してしまうことを危惧し、道場コミュニティとしての部活動の文化を失わないように試みています。経験の浅い部員でも剣道部の一員であり、指導を通して剣道の継承、作法の再認識などを促進できる環境を整備することが重要だと考えています。学生主体での遠征や合宿のプログラムを構築することも実践しています。試合を行ってくれる相手の選定から、合宿場所の決定といった項目です。自ら考え取り組むことで、地域の理解、相手の力量の把握、剣道コミュニティの人脈の把握、礼儀作法が身につきます。先日、九州遠征合宿を計画した際には、九州出身部員に関係する父兄をはじめ、多くの剣道コミュニティの方々に協力してもらったケースもありました。もちろん、指定強化クラブとしては勝負の結果が求められます。そのために必要なコミュニティとしての剣道の力を肌で感じる最高の機会となりました。
外国人に関するプロジェクトにも注力しています。一つは、留学生を対象にした体験教室です。剣道の道具にも触れたことや見たことがない留学生に礼儀作法、練習、競技を体験してもらいます。スタートして数年になりますが、毎回15~20人ほどの留学生が参加するイベントとなりました。活躍するのが部内にいる剣道経験の浅いメンバーです。日々緊張感のある部活動内で、どのように真剣に剣道と向き合い、強くなっていくのかを考えながら指導を受けているため、初心者により近い目線でレクチャーすることができるのです。
もう一つは、ガーナにおける剣道具の提供です。ガーナ共和国は西アフリカに位置し、2013年に吉村馨全権大使が剣道教室を開き、その後息づいています。しかし、慢性的な防具不足や壊れても修理できないなどの問題がガーナ人剣士より報告されていました。そこで2021年12月、本学理事長?学長 冲永佳史による「帝京大学が目指す国際化」のメッセージが大きな契機となり、剣道部や本学教職員有志らによって剣道防具を寄贈しました。以後、関係が続いています。
私は今改めて、こうした活動を通したSDGsにおける剣道の可能性を感じています。まず剣道は、護身といった観点での武術的要素、大会を開き多くの人の技量を試技するという技術的要素、さらには道場におけるコミュニティ文化の醸成という社会的要素がセットで備わっており、地域社会の安定に貢献できます。さらに地域におけるコミュニティの健全性は先進国、発展途上国にかかわらずすべてにおいて重要なテーマであり、コミュニティを重視する剣道の構造が世界的に価値のあるものだという認識が広がっていく可能性があります。単純に競技人口を増やすという発想ではなく、世界課題の解決と剣道関係者の増加という目的の両立が叶えば、心法を重視する剣道にとっても大きな価値があります。帝京大学剣道部としても引き続き、剣道競技人口の世界的な推進と同時に、剣道が持つ普遍的な価値の追求に努めつつ、新しい剣道普及の道を探究し続けていきます。